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広島地方裁判所 昭和58年(ワ)596号 判決 1990年2月19日

原告

松岡光夫

右訴訟代理人弁護士

外山佳昌

山田延廣

被告

陰山信二

右法定代理人親権者

陰山吉夫

同母

陰山千代子

右訴訟代理人弁護士

新谷昭治

被告

澤屋悳久

田中敏宏

田中宏毅

株式会社東洋シート

右代表者代表取締役

山口清蔵

右被告ら訴訟代理人弁護士

益田哲生

主文

一  被告陰山信二は、原告に対し、金五二一万二五九〇円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告澤屋悳久、同田中敏宏、同田中弘毅、同株式会社東洋シートは、原告に対し、各自金一〇三六万六六〇六円及びこれに対する昭和五八年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告株式会社東洋シートは、原告に対し、金二六三万四二八九円及びこれに対する昭和五八年一一月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

五  訴訟費用はこれを五分し、その三を原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

六  この判決は、第一ないし第三項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自四〇六四万九八七九円及びこれに対する昭和五八年三月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告陰山信二は、原告に対し、一九七万九〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

3  被告株式会社東洋シートは、原告に対し、二六七万八〇九一円及びこれに対する昭和五八年一一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  (3についての予備的請求)

被告らは、原告に対し、各自二〇万六〇〇三円及びこれに対する昭和五八年五月七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は被告らの負担とする。

6  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  請求原因

一  第一の不法行為

1  交通事故(以下、「第一の不法行為」という)の発生

(一) 日時 昭和五七年八月六日午前七時五五分頃

(二) 場所 広島市安芸区瀬野川町中野七五九八先路上

(三) 加害車両 自動二輪車

運転者 被告陰山信二(以下、「被告陰山」という)

(四) 被害車両 自転車

運転者 原告

(五) 態様 原告が自転車で事故現場道路左側の側線内を西条方向に向かって進行していたところ、同方向に進行中の加害車両運転の、被告陰山が先行車の左側から無理な追越しをしたため、原告運転の自転車に背後から衝突して転倒させた。

2  責任原因(自賠法三条)

被告陰山は、加害車両(自動二輪車)を保有し、自己のため運行の用に供していた。

3  受傷及び治療経過

(一) 受傷

原告は、第一の不法行為により、右後頭部急性硬膜外血腫、右下腿打撲等の傷害を受け、開頭手術を受けるなどした。

(二) 治療経過

(1) 入院(土谷病院)

昭和五七年八月六日から同年九月三〇日まで(五六日間)

同年一二月六日から同月二八日まで(二三日間)

(2) 通院(同病院)

昭和五七年一〇月一日から同年一二月五日まで

同年一二月二九日から昭和五八年二月二八日まで

二  第二の不法行為

1  当事者

(一) 原告は、被告株式会社東洋シート(以下、「被告会社」という)の従業員で、第一の不法行為により休職中であった。

(二) 被告澤屋悳久(以下、「被告澤屋」という)は被告会社の第二製造課長、被告田中敏宏はその総務課長、被告田中宏毅はその業務部長の職にある者である。

2  傷害事件発生前の事情

(一) 被告会社は、これまで同社の労働組合である日本労働組合総評議会全国金属労働組合(以下、「全金」という)広島地方本部東洋シート支部(以下、「支部組合」という)を敵視し、様々な不当労働行為事件を生じさせ、社会的に問題となっている会社である。そして、これら不当労働行為の率先的役割を果たしているのが被告澤屋ら三名の管理職であった。

すなわち、

(1) 被告会社は、支部組合が全金傘下に加入していることを快く思わず、それまで支部組合の活動に干渉したり、組合員に脱退を慫慂したりするなどの不当労働行為を繰り返していたが、昭和五四年一月には職制を使い、支部組合の執行部を掌握させ、同四月にはこの執行部をして組合規約所定の組合総会開催に必要な告示期間を遵守しないで総会を招集させ、かつ、採決が行われていないにもかかわらず、全金からの脱退決議が成立したと主張し、支部組合の存続を認めず、以後の団体交渉を一切拒否してきたものである。

(2) それのみか、被告会社は、支部組合の存続を主張する一色邦男(以下、「一色」という)ほか一〇名の中心人物に対しては、一時金の支給及び毎月四月の賃上げを一切拒否してきたうえ、支部組合に復帰を表明した一般組合員の組合費を支部組合脱退者らで新たに昭和五四年五月に設立した東洋シート支部組合(第二組合)に支給するなどした。

(3) 被告会社は、支部組合が復帰したと取り扱った一般組合員に対しても、夏季一時金を支払わなかったり、正当な組合活動を行っている者に対し懲戒処分の対象となると警告したりなどしたうえ、これら組合員に対し残業なども行うなどの限りを尽くした不当労働行為を繰り返してきていたのである。

(4) しかも、原告は、昭和五四年五月三一日には、第二組合に対し支部組合への復帰を表明していたため、被告会社からの右不当労働行為を受けていた者で、これら被告会社の不当労働行為の実行者としての役割を被告田中敏宏を筆頭とする被告澤屋ら管理職らが果たしていた。

(5) 特に、被告澤屋は、前記脱退決議当時に職制(主任)であって、組合員であるという身分を利用し、右脱退決議の実行のため署名集めなどを行った中心人物の一人であって、率先して支部組合潰しのために活動していた人物であり、この脱退決議の翌年課長に昇進した。

(二) 原告は、第一の不法行為により、前記のとおり入通院治療を受けていたが、昭和五八年二月をもって軽快し、同年三月より復職可能との診断を受けた。この診断は、同月二二日頃被告会社に伝わっていた。

(三) そこで、原告は、同月二三日、被告会社に対し、三月一日からの復職願いを提出し、被告会社の意向を伺ったが、被告会社はこれを無視し、何らの返答をしなかった。

そのため、原告は、同年三月一日、被告会社に対し、電話で出勤させてもらいたいと要請したところ、これに応対した被告田中敏宏は、原告に対し、「がたがた言うな」と怒鳴って一方的に電話を切ってしまった。

(四) 原告は、同日土谷病院の担当医師に相談したところ、「会社とは話がついている。明日から出勤するように」との勧めがあったので、翌二日から出勤したものの、被告澤屋及び同田中弘毅らによって、仕事は与えられず、「帰宅せよ」との嫌がらせを受けていた。

3  傷害事件(以下、「第二の不法行為」という)の発生

(一) 原告は、昭和五八年三月四日午前七時四〇分頃出勤し、清掃した後、同八時四〇分頃手押し車に塵を積んで運搬していたところ、被告澤屋、同田中敏宏及び同田中弘毅の三名が、有形力を行使してでも原告を被告会社から追い出そうと共謀のうえ、原告に対し詰め寄り、「松岡、何をしよるか。帰れ。会社の物を勝手に使うな」と口々に叫び、手押し車を取り上げたうえ、焼却場まで追い詰め、原告から運搬中の塵まで取り上げた。

(二) 更に、右被告ら三名は、「外に出ていけ。帰れ、帰れ」と叫びながら、原告を焼却場・溶接現場まで追い回した。そのため、支部組合員である他の従業員が「やめろ」と要求したのに対し、右三名は、「仕事をしろ」と命じてこれを聞き入れず、午前九時三五分頃、原告を溶接係休憩所前まで追い詰めたうえ、塵箱にもたれている原告に対し、被告澤屋が、突然原告の体を右肘で強く突き上げ、このため、原告は、その場に転倒した。

4  責任原因

(一)(1) 第二の不法行為は、被告会社の指示に基づき、被告澤屋、同田中敏宏、同田中弘毅の三名が共謀のうえ、原告を追い回すなどして精神的苦痛を与えようとし、この共同の目的を遂行する過程において被告澤屋の暴行によって発生したもので、被告らは、民法七一九条一項の共同不法行為者としての責任がある。

(2) なお、民法七一九条一項の不法行為は、各人に意思の連絡はないが、社会的に一体と認められる場合にも、共同不法行為としての責任を負うところ、被告会社及び被告澤屋ら三名(以下、「被告会社関係者」ともいう)と被告陰山との間の関係については、被告会社関係者の責任が認められなければ被告陰山の責任が認められるという点において一体性が認められるから、共同不法行為が成立する。

(3) 原告は、後記のとおり、現在後遺症に苦しめられているところ、被告会社は、昭和五八年三月四日後の入院治療を含めて、原告のその後の加療及び後遺症は、被告会社の責任ではなく、第一の不法行為の結果である旨主張している。

また、被告陰山も、同年三月四日以降の治療及び後遺症は第二の不法行為の結果であって、被告陰山には責任がない旨主張し、同年四月分以降の治療費・給与等の損害を一切支払わない。

しかし、右三月四日以降の治療及び後遺症は、第一、第二のいずれかの不法行為に基づくものであるところ、右治療及び後遺症についての損害に関しては、民法七一九条一項の「共同行為者中いずれが損害を加えたか知ることができない場合」に該当するものというべきである。

したがって、右損害に関しては、被告ら全員が民法七一九条一項の共同不法行為責任を負う。

(二) また、被告澤屋、同田中敏宏、同田中弘毅の三名は、被告会杜の従業員であって、被告会社の労務管理という事業の執行として第二の不法行為を発生させたものであるから、被告会社には、民法七一五条一項の責任がある。

(三) 更に、被告会社は、労働契約上、就業中の従業員の健康管理には十分注意すべき安全配慮義務を有するところ、これに反するばかりか、被告澤屋ら三名をして故意に第二の不法行為を発生させたものである。

よって、被告会社は、民法四一五条の債務不履行責任がある。

5  受傷及び治療経過等

(一) 原告は、第二の不法行為により、治療を受けていた後頭部等を打撲して頭部打撲等の傷害を受け、意識不明の状態となって病院に運ばれた。

(二) 治療経過

(1) 入院(土谷病院)

昭和五八年三月四日から同年四月一二日まで(四〇日間)

(2) 現在も、土谷病院及び広島大学付属病院で通院治療中である。

(三) 後遺症

原告は、第二の不法行為後、両神経性難聴及び耳鳴り症が生じてその後遺症が残存し、じんじんするような耳鳴りに終日悩まされているところ、これが全治する見込みはない。

右後遺症は、自賠法施行令二条別表後遺障害等級(以下、「後遺障害等級」という)五級二号の「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するものというべきである。

三  損害

1  休業損害

(一) 原告は、第一の不法行為により稼働することができず、昭和五七年八月六日から昭和五八年二月まで休業し、更に、第二の不法行為後は、同年三月以降現在まで休業しているところ、昭和五七年九月から昭和五八年三月までの休業補償は、労災保険から支給を受けている。

(二) 原告の昭和五七年八月当時の被告会社からの給与支給月額は、二五万三七二四円であって、原告が第一、第二の各不法行為に遭遇しなければ、昭和五八年四、五月分の給与として合計五〇万七四四八円の支払を受けたはずであり、右金額が休業損害となる。

2  逸失利益

(一) 原告の後遺症は、難治性で治癒の可能性はなく、現在(五八歳)から就労可能年齢六七歳までの九年間継続するものと認められる。

(二) 原告は、就労可能年齢である六七歳まで稼働した場合、少なくとも昭和五七年八月当時原告が被告会社から得ていた給与分二五万三七二四円を取得することができたものと認められる。

また、原告は、右給与以外に被告会社から夏季一時金として四一万九一四三円、冬季一時金として四七万八二六二円を受給しており、年収は三九四万二〇九三円となる。

(三) 原告の後遺症は、前記のとおり、後遺障害等級五級に該当し、その労働能力喪失率は七九パーセントである。

(四) したがって、原告の逸失利益を、ホフマン方式により中間利息を控除して算定すると、次のとおり、二四七四万二四三一円となる。

3,942,093×7.9449×0.79=24,742,431

3  入院雑費

(一) 原告は、第一の不法行為により、前記のとおり七九日間入院したが、この間の入院雑費は、一日につき一〇〇〇円を要し、合計七万九〇〇〇円となる。

(二) 原告は、第二の不法行為により、前記のとおり四〇日間入院したが、右同様、入院雑費は、四万円となる。

4  慰謝料

(一) 第一の不法行為による入通院慰謝料

原告は、第一の不法行為により、前記のとおり約三か月間の入院及び約四か月間の通院を余儀なくされた。

この精神的苦痛を慰謝するには、一七〇万円が相当である。

(二) 第二の不法行為後の入通院慰謝料

原告は、第二の不法行為により、前記のとおり現在まで約一か月半の入院及び約二か月間の通院をした。

この精神的苦痛を慰謝するには、被告澤屋らの態様の悪質さをも考慮すると、二〇〇万円が相当である。

(三) 後遺症慰謝料

原告は、前記のとおり、第二の不法行為によって両神経性難聴及び耳鳴り症の後遺症に苦しめられており、この精神的苦痛を慰謝するには、右と同様行為態様の悪質さをも考慮して、一〇三六万円が相当である。

5  右損害額

(一) 右損害のうち、第一の不法行為にのみ起因する損害は、3(一)、4(一)の合計一七七万九〇〇〇円である。

(二) 第二の不法行為後の損害は、右額を除いた合計三七六四万九八七九円となる。

6  弁護士費用

原告は、本訴提起及びその追行を弁護士である原告代理人に委任し、損害額の一割を下らない額を弁護士費用として支払う旨約した。

よって、5(一)の弁護士費用として二〇万円を、5(二)の弁護士費用として三〇〇万円を請求する。

7  総損害額

したがって、第一の不法行為にのみ起因する損害は一九七万九〇〇〇円、第二の不法行為以後の損害は、四〇六四万九八七九円となる。

8  よって、原告に対し、被告らは、各自四〇六四万九八七九円及びこれに対する昭和五八年三月五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、被告陰山は、一九七万九〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで右割合による遅延損害金を支払う義務がある。

四  解雇の無効と退職手当金債務の不履行

1  解雇の無効

(一) 被告会社は、第二の不法行為を発生させたばかりでなく、昭和五八年五月二日付書面により、原告に対し、同月七日付休職期間満了による解雇を通知してきた。

(二) 原告は、昭和五八年三月二日から復職しているのであって、休職期間は満了していないうえ、被告会社の第二の不法行為により、期間満了に至ったもので、解雇の主張は、権利の濫用であり、信義則に反する。

したがって、解雇は無効である。

2  被告会社の退職手当金規定

(一) 被告会社には退職手当金規定が存在し、従業員が退職する場合、次の計算により算出された退職手当金を退職時に支給することとなっている。

退職手当金=(基本月給+生産奨励手当+皆勤手当+調整手当+勤続手当+役職手当)×支給月数

(二) 支給月数は、退職手当金規定別表に定めがあり、勤続年数一六年で12.0月分、同一七年で13.0月分とされている。

3  原告の退職手当金

(一) 原告は、昭和五八年一一月一日をもって被告会社を定年退職し、同日までの勤続年数は一七年で右基本月給から勤続手当までの合計額は二〇万六〇〇七円となる。

(二) よって、原告の退職手当金は、二六七万八〇九一円となる。

4  被告会社の債務不履行

(一) 被告会社は、昭和五八年五月七日付をもって休職満了による解雇を主張し、同日までの退職手当金は二四七万二〇八八円であると主張する。

(二) しかし、前記1のとおり、右解雇は無効である。

(三) よって、被告会社は、原告に対し、二六七万八〇九一円及びこれに対する昭和五八年一一月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

五  退職手当差額金(四の予備的請求)

1  仮に、被告会社の主張する昭和五八年五月七日付解雇が有効であるとするならば、被告会社主張の退職手当金との差額二〇万六〇〇三円が原告の損害となる。

2  原告が、被告会社により、昭和五八年五月七日をもって休職により解雇されるに至った理由は、第一、第二の各不法行為に起因しているところ、被告らの責任原因は、前記一2及び二4に記載のとおりである。

3  よって、被告らは、原告に対し、二〇万六〇〇三円及びこれに対する昭和五八年五月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

六  結論

よって、原告は、被告らに対し、各自四〇六四万九八七九円及びこれに対する昭和五八年三月五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告陰山に対し、一九七万九〇〇〇円及びこれに対する昭和五七年八月七日から支払ずみまで右割合による遅延損害金の支払を、主位的に被告会社に対し、二六七万八〇九一円及びこれに対する昭和五八年一一月一日から支払ずみまで右割合による遅延損害金の支払を、予備的に被告らに対し、各自二〇万六〇〇三円及びこれに対する昭和五八年五月七日から支払ずみに至るまで右割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

第三  請求原因に対する認否及び反論

(被告陰山)

一  請求原因一1(一)ないし(四)は認める。

同一1(五)のうち、原告が道路左端の側線内を進行していたこと、被告陰山が無理な追越しをしたことは否認するが、その余は認める。

二  同一2は認める。

三  同一3のうち、入通院期間は知らないが、その余は認める。

四  同二4(一)(3)のうち、被告陰山が、昭和五八年三月四日以降の原告の治療及び後遺症に関する損害につき、被告陰山を除くその余の被告らとともに民法七一九条一項の共同不法行為責任を負うとの点は否認する。

五1  同二5(三)は否認する。

2  原告の第一の不法行為後の症状経過は、ほぼ次のとおりである。

(一) 原告は、第一の不法行為による受傷後当日の昭和五七年八月六日、土谷病院において、開頭手術・血腫除去手術を受け、術後の経過は良好で、同年九月三〇日に退院した。

(二) 原告は、右退院後、一週間ないし二週間おきに通院治療、経過観察を受けたが、同年一二月頃からめまい、フラフラ感(歩行障害)があったため、同月六日に再入院した。

そして、内科治療の結果、同月一四日頃からめまい感もなくなり、症状が軽快したので、原告は、同月二八日に退院し、その後は通院治療となったが、右通院は、昭和五八年一月一一日、同年二月八日、同月二二日の三回だけであった。

(三) 同年二月二二日当時、原告の症状は軽快し、右症状固定時期は、同日から同月二八日である。

(四) 担当医の原田医師は、右の経過より原告が同年三月一日から職場復帰が可能であると判断し、軽作業から始めて、漸次通常勤務に復帰することができ、その期間は約一か月と診断し、原告自身も、右三月一日以降就労の意思をもって復職しようとした。

3  原告の後遺障害は、右下肢痛、右下腿知覚鈍麻等で後遺障害等級一二級一二号に、右聴力低下で一一級六号である。

したがって、原告の現在の症状が如何なるものであれ、原告が第二の不法行為と主張する件は別として、少なくとも被告陰山との関係では、右後遺障害等級を越えるものではない。

六1  同三のうち、1(一)は認めるが、その余は争う。

2  第一の不法行為に基づく症状固定時期は、前記のとおり昭和五八年二月二二日ないし同月二八日頃であるから、第一の不法行為と原告主張の昭和五八年四月及び五月分の休業損害との間に相当因果関係がない。

また、原告は、昭和五八年三月一日以降は就労可能であったのであるから、いずれにしても、第一の不法行為と右休業損害との間には相当因果関係がない。

3  逸失利益の算定期間につき、原告の場合、定年退職の時期は確定的であるから、これを越えて算定する理由はない。

七1  同四1ないし3及び同五1は知らない。

2  原告の退職が休職満了による解雇であろうと、又は定年退職であろうと、第一の不法行為と退職手当金についての差額損害との間には相当因果関係がない。

(その余の被告ら)

一  請求原因一のうち、原告が交通事故(第一の不法行為)により受傷したことは認めるが、その余は知らない。

二1(一) 同二1(一)は認める。

(二) 同二1(二)について、被告田中弘毅の役職は業務次長である。その余は認める。

2(一) 同二2(一)のうち、原告が支部組合に所属していることは知らないし、その余は否認する。

(二) 同二2(二)のうち、診断内容の点を除き、その余は認める。

(三) 同二2(三)のうち、原告が復職願いを提出したことは認めるが、その余は否認する。

(四) 同二2(四)のうち、原告が被告会社の許可なくして出社してきたこと(ただし、昭和五八年三月二日ではなく、同月三日のことである)、被告澤屋及び同田中弘毅らが仕事の指示をしなかったこと、原告に帰宅するように指示したことは認めるが、原告に対し嫌がらせをしたとの点は否認し、その余は知らない。

(五) 原告の復職申出に対する被告会社の措置の正当性について

(1) 原告が交通事故によって被った傷害は、頭蓋骨骨折、硬膜外出血という極めて重篤なものであり、一旦軽快したとされながらも、めまい、動揺性歩行が現出して再入院するという経過を辿っており、被告会社としては、原告の復職については慎重にならざるをえなかった。

(2) 原告の昭和五八年二月二二日付復職願いに添付された医師の診断書によれば、前職場復帰は同年四月頃可能とされ、なお一か月ないし二か月もの長期にわたる軽作業を続けなければ前職場復帰は無理であると判断されている。

(3) 原告が所属する溶接職場は、騒音が非常に高く、フォークリフトが頻繁に走行するといった状況であり、静かな環境の中で机に向かって仕事をするといった類のものとは全く趣を異にしている。

(4) 被告会社では、従来から前職場復帰を原則としており、軽作業可能との診断で復職を認めた例はなく、しかも溶接職場では、軽作業に専従しているような者は一人もいない。なお、原告が事故前に従事していたスポット溶接の作業は終日立ち作業であり、原告の復職申出当時、製造一課、同二課を通じて、座り作業は全く見当たらなかった。

(5) 最高裁判所が使用者の負うべき義務として労働者に対する安全配慮義務を明らかにして以来、使用者が果たすべき注意義務はより一層厳格化される傾向にあり、就業中に生じた事故については、何らかの義務違反が問われているといっても過言ではない。

(6) 被告会社は、以上のような理由から、原告についてはなお治療に専念させ、前記診断書において前職場復帰が可能であるとされている四月頃の時点で再度医師の診断を仰ぎ、その診断に基づいて原告の復職の可否を決定することにしたものであり、被告会社の右判断は誠に妥当なものというべきである。

原告は、被告会社が組合問題を理由に不当に原告の復職を認めなかったかのごとく主張しているが、被告会社の措置は右のような合理的な理由に基づくものであり、原告に限って従前にない特異な扱いをしたようなことは全くない。

(7) ところが、原告は、被告会社の右判断に基づいた指示に従わず、昭和五八年三月三日、同月四日と出社してきたものである。

3(一) 同二3(一)のうち、原告が同月四日に被告会社の許可なくして出社してきたこと、清掃を行うような素振りを見せたこと、被告田中弘毅らが原告に対し帰宅するよう指示したことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同二3(二)のうち、被告田中弘毅らが原告に対し帰宅するよう指示したことは認めるが、その余は否認する。

被告澤屋らが原告に対し帰宅を促し、療養を続けるように説得していたところ、原告は、立ち眩みが生じたような状況で自らよろめいて転倒したものであり、被告澤屋が原告に暴行を加えたような事実はない。

なお、原告が転倒した場所は床面が穏やかなスロープになっており、このことが右転倒に影響を与えたことも考えられるところである。

4(一)(1) 同二4(一)(1)、(2)は争う。

(2) 同二4(一)(3)のうち、昭和五八年三月四日以降の原告の治療及び後遺症についての損害に関しては、被告ら全員が民法七一九条一項の共同不法行為責任を負うとの点は争い、その余は知らない。

(3) 共同不法行為の成立には、両行為がそれぞれ独立した不法行為の要件を満たすほかに、両行為間に関連共同性が存在しなければならない。しかるに、原告が主張する被告澤屋らの行為と前記交通事故(第一の不法行為)との間には、主観的な共同性はもとより、何らの条件関係、因果関係もないのであるから、関連共同性のないことは明らかである。

したがって、本件については、単に二個の全く独立した不法行為が併存した関係として処理されなければならないから、原告としては、被告澤屋らに不法行為責任があるという以上は、どの範囲の損害が右不法行為と相当因果関係を有するものであるかを主張、立証する必要がある。

しかし、かかる主張、立証は全くなされていない。

(二) 同二4(二)のうち、被告澤屋ら三名が被告会社の従業員であることは認めるが、その余は争う。

(三) 同二4(三)のうち、一般論として被告会社が就業中(就業指示を出している場合)の従業員に対する安全配慮義務を負っていることは認めるが、その余は争う。

5(一) 同二5(一)について、原告が頭部外傷により病院に運ばれたことは認めるが、右傷害が原告主張にかかる暴行によるとの点は否認する。

(二) 同二5(二)のうち、原告が土谷病院において入院加療を受けたことは認めるが、その余は知らない。

(三) 同二5(三)は知らない。

三1(一) 同三1(一)のうち、原告が第一の不法行為により稼働することができず、昭和五七年八月六日以降休業したことは認めるが、原告が労災保険から支給を受けた金額は知らないし、その余は否認する。

(二) 同三1(二)のうち、原告の昭和五七年八月当時の給与支給額が記載の金額であることは認めるが、その余は争う。

2(一) 同三2(一)は知らない。

(二) 同三2(二)のうち、前段は争い、後段は認める。

(三) 同三2(三)は知らない。

(四) 同三2(四)は争う。

3 同三3は争う。

4 同三4(二)、(三)は争う。

5 同三5ないし7は争う。

四1(一) 同四1(一)のうち、被告会社が、昭和五八年五月二日付書面により、原告に対して休職期間満了による退職を通知したことは認めるが、その余は否認する。

(二) 同四1(二)は争う。

(三) 被告澤屋らが原告に対し暴行を加えた事実はなく、原告は、立ち眩みを生じたものか、自ら転倒するに至ったものである。

すなわち、原告は、昭和五八年三月当時未だ復職するに足りる健康状態に復しておらず、また、被告会社が原告の復職を認めた事実もないのであるから、原告の休職はなお引き続いていたものというべきである。

そして、原告の休職期間は昭和五八年五月七日をもって満了し、あらためて原告から復職の申出がなされたこともないのであるから、原告は同日をもって被告会社を退職したものといわなければならない。

2(一) 同四2(一)は認める。

(二) 同四2(二)は認める。

ただし、各年度の途中で退職するときには、その月数に応じて端数が付されることになる。

3(一) 同四3(一)は争う。

原告の定年は昭和五八年一一月二〇日であり、同日まで勤務したものと仮定すると、勤続年数は一七年三か月となる。また、右勤続年数に相当する支給月数は13.48である。なお、原告の算定基礎金額は一九万五四二二円である。

(二) 同四3(二)は争う。

(三) 仮に、原告が定年まで勤務して退職したものとすると、その退職手当金は、次のとおり、二六三万四二八九円になる。

195,422×13.48=2,634,289

4(一) 同四4(一)は認める。

(二) 同四4(二)、(三)は争う。

五 同五は争う。

第四  被告会社の主張(請求原因四について)

昭和五八年一一月から同年一二月にかけて原告と被告会社総務課の木村主任との間で数回話し合いが持たれ、これには一色も同席した。

その席で木村主任は原告の退職日が同年五月七日となる旨説明したところ、原告と一色は、これを了承し、同日付の退職願い(<証拠>)に署名・捺印して提出したのであるから、原告の退職日は、あくまで昭和五八年五月七日である。

第五  被告会社の主張に対する認否及び反論

一  一色が原告にかかる昭和五八年五月七日付の退職願い(<証拠>)を作成して被告会社に提出したことは認める。

二  原告は、被告会社に対し退職金の支払を要求していたところ、同年一二月二三日になって被告会社からこれを支給するとの連絡があり、一色と同行した。

一色としては、同年五月七日付休職期間満了を理由としてとりあえず同日までの退職金を原告が受け取るのもやむをえないと考えて<証拠>を作成したが、被告会社は、原告の自主退職扱いにしようとしたため、話し合いは決裂し、原告は退職金も受け取っていないのである。

したがって、結局のところ、原告としては、自主退職はもちろん、休職期間満了を理由とした退職をも承認しなかったものというべきである。

第六  証拠<省略>

理由

一第一の不法行為について

1  交通事故(第一の不法行為)の発生

請求原因1(一)ないし(四)の事実及び同1(五)のうち、原告が自転車で事故現場道路左端を西条方向に向かって進行していたところ、同方向に進行中の加害車両(自動二輪)運転の被告陰山が、先行車の左側から追い越したため原告運転の自転車に背後から衝突して転倒させたことは、原告と被告陰山との間では争いがなく、原告とその余の被告らとの間では、<証拠>によりこれを認めることができる。

2  責任原因(自賠法三条)

請求原因2の事実は、原告と被告陰山との間では争いがなく、原告とその余の被告らとの間では前掲各証拠及び弁論の全趣旨によりこれを認める。

3  受傷及び治療経過

(一)  受傷

<証拠>によれば、原告が第一の不法行為により、頭蓋骨骨折、右後頭部急性硬膜外血腫、右下腿打撲等の傷害を受けたことが認められる。

(二)  治療経過

前掲各証拠に加えて、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 原告は、右受傷後、土谷病院に緊急入院し、直ちに開頭手術及び血腫除去手術を受けたが、術後の経過は良好で、昭和五七年九月三〇日に退院した(入院期間五六日間)。

(2) 原告は、右退院後、一ないし二週間おきに土谷病院に通院し、治療及び経過観察を受けていたところ、その間右耳の閉塞感(難聴)を訴え、同病院の紹介により広島大学医学部付属病院の耳鼻科で受診し(初診が同月七日)、その後同年一二月頃からめまい、動揺性歩行(フラフラ感に起因する歩行障害)が発現したため、同月六日土谷病院に再入院したが、その原因として、CT検査(コンピューター断層撮影検査)では、後頭葉に循環障害を疑わせる所見が見られた。

そして、内科的(保存的)治療の結果、同月一四日頃からめまい感もなくなり、原告は、同月二八日に退院した(再入院期間二三日間)。

(3) 原告は、右退院後、昭和五八年一月一一日、同年二月八日、同月二二日の三回土谷病院に通院したが、めまいも頭痛もなく、原告の症状は軽快した。

(4) 原告担当医の原田医師は、同年二月二二日、右経過を前提に、同月二八日に症状固定、同年三月一日から就労可能であり、ある程度の準備期間として軽作業から始めて漸次通常勤務に移行することにすれば、一か月後の同年四月頃には完全復帰(前職場復帰)が可能であると判断し、原告の持参した被告会社指定用紙の診断書(<証拠>)にその旨を記載した。

(5) なお、前掲<証拠>(医師土谷太郎作成名義の昭和五八年二月二二日付廃疾・障害診断書)には、後遺障害の内容として右下肢痛、右下腿知覚鈍麻(めまい・歩行障害)との、症状固定時期として昭和五八年二月二二日との、労災保険障害等級として一二級一号との各記載がある。

二第二の不法行為について

1  傷害事件(第二の不法行為)発生に至るまでの経緯

<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、この認定に反する<証拠>は、前掲各証拠に照らし、俄に採用することはできない。

(一)  被告会社は、支部組合が全金傘下に加入していることを快く思わず、昭和五四年四月に支部組合の全金からの脱退決議が成立し、同年五月には支部組合脱退者らで新たに東洋シート支部組合(第二組合)が結成されたと主張し、以後支部組合の存続を認めず、団体交渉を一切拒否してきた。そして、被告会社は、支部組合の存続を主張する一色ら一一名の中心人物に対しては、一時金の支給及び賃上げを一切拒否してきたうえ、脱退後支部組合に復帰した一般組合員に対しても、夏季一時金を支払わなかったりするなどの不当労働行為を繰り返してきた。

原告は、一旦支部組合を脱退したが、遅くとも同年六月中旬頃までには支部組合に復帰する意思を表示し、以後支部組合員としての地位を有しているところ、原告も被告会社からの右不当労働行為を受けてきた。

(二)  被告会社の製造課には、第一製造課と第二製造課があり、第二製造課は溶接係とプレス係に分かれていたが、原告は、右溶接係に所属し、第一の不法行為で受傷する以前はスポット溶接の仕事を担当していた。

原告は、二度目の退院後、前記認定のとおり症状も軽快してきたので、昭和五八年二月初め頃から、支部組合委員長の一色に復職について相談し、また一色を介しあるいは直接被告会社溶接係の小原主任に対し、取りあえず軽作業での復職を働きかけていたが、右小原の話では、軽作業の仕事はあるから、被告会社の方に言ってほしいということであった。

そこで、原告は、同月二二日、小原主任を通じて被告会社に対し、診断書(<証拠>)を添付して復職希望年月日を同年三月一日とする復職願い(<証拠>)を提出した。

(三)  被告会社では、昭和五二年から昭和五八年にかけて、疾病や事故で休職後軽作業であれば就労可能との診断書に基づいて復職願いが提出された事例が本件以外に六件(内一件は本件後)あるが、復職が認められた例はなく、前職場復帰可能であることが復職の原則であった。また、原告が第一の不法行為前に従事していたスポット溶接の作業は終日立ち作業であり、原告の復職申出当時、第一、第二製造課を通じて座り作業はなく、しかも第二製造課溶接係(以下、「溶接職場」という)の職場では、軽作業の専従者はいなかった。

原告から前記復職願いの提出を受けた被告会社は、右事情に加えて、原告の受傷の程度が重大であったうえ、一旦軽快して退院後に、めまい、動揺性歩行が発現して再入院するという経過があり、提出された診断書には前職場復帰が可能となるのは昭和五八年四月頃であると記載されていたため、原告の症状が確実に治癒していないものと判断したこと、しかも、溶接職場では、騒音が高く、フォークリフトが頻繁に走行するため、原告が復職した場合、立ち眩み等の症状が発現することが予想され、危険性があると判断したこと、以上の理由から、原告の復職を認めないことにし、同年二月二八日、右結論を木村主任を通じて原告に伝えた。原告としては、被告会社が復職を認めないのであれば仕方がないと考え、一応了承してその日は帰宅した。

なお、被告会社は、右結論を出すに当たって、原告から事前に事情を聴取するというようなことは一切しなかった。

(四)  しかしながら、原告は、同年五月七日には休職期間が満了となることに加えて、労災保険から休職補償を受給していたこともあって、医師の方では就労可能であると診断しているのに、被告会社が復職を認めないというのであれば、その理由を被告会社に一筆書いてもらい、そのうえで改めて土谷病院へ相談に行こうと考え、翌三月一日、被告会社に電話をしたが、応対に出た総務課長の被告田中敏宏から、その必要はないと言われた。

そこで、原告は、直接被告会社へ赴き、被告田中敏宏らに対し復職を認めない理由を書いてくれるように求めたが、そのような書面を書いた例がないなどと文句を言われたため、結局諦めざるをえず、土谷病院へ相談に行くことにした。

原告が帰った後、被告会社の木村主任が土谷病院に電話をして、原田医師に原告の復職を認めない理由を書いた書面が必要かどうか尋ねたところ、必要はないとの返事であったが、同医師からは原告の軽作業による復職を認めるよう要請された。

原告が土谷病院を訪れたのは、被告会社から右電話があった後のことであったが、原告から相談を受けた原田医師は、被告会社に電話をして、応対に出た木村主任に対し、原告の来訪を告げたうえで、重ねて原告の軽作業による復職を認めるように要請し、原告と被告会社とで十分話し合うことを求める一方、原告に対しては、明日から会社へ行くように伝えた。

そこで、原告は、被告会社と原田医師との間で話がついたものと考えて、土谷病院をあとにしたが、同医師としても、その後被告会社から何の相談もなかったので、被告会社の方で原告が軽作業から復職できるように善処したものと理解していた。

(五)  同月二日、原告は、被告会社に出勤し、総務課長の被告田中敏宏に今日から出勤する旨挨拶したが、「誰が出て来いと言ったか」、「医者は関係ない、帰れ」と言われたため、すぐ一色に話を聞いてもらい、同人とともに労働基準監督署に相談に行ったところ、医師が出てよいと言うのであれば、会社に出勤して実績を作るようにとの助言を受けた。

(六)  そこで、原告は、翌三日も被告会社に出勤し、溶接職場の事務所の中を箒で掃除していたところ、溶接係小原主任からの危険だから何とかしてほしいとの要請を受けてやって来た総務課長の被告田中敏宏、業務次長の被告田中弘毅、第二製造課長の被告澤屋、山田製造部次長の四人から、約一〇分間にわたって(時間帯は午前八時一五分頃から同九時頃までのこと)、帰って療養するように求められたが、原告としても、医者が働いてもよいと言っているのだから、帰れと言うのなら復職できない理由を書いてほしいなどと反論し、被告田中敏宏らの右要請に応じなかった。

その後、被告澤屋は、二、三回溶接職場へ行って、原告に対し、危ないから帰るように注意し、一方溶接係の小原主任やプレス係の石川主任には原告の安全に注意するよう依頼するなどした。

結局、原告は、その日は終日溶接職場の掃除をし、定時に退社した。

2  傷害事件(第二の不法行為)の発生

(一)  <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(1) 原告は、昭和五八年三月四日、午前七時四〇分頃出勤し、午前八時頃辰巳嘉兵衛(以下、「辰巳」という)と一緒に溶接職場に行き、溶接事務所で被告澤屋に挨拶し、同被告から帰るように言われたが、これに応じることなく、同事務所付近の掃除をした後、手押し車(台車)に塵を入れて焼却場まで運んだところ、同日午前九時頃、前日と同じく小原主任の要請もあってやって来た被告澤屋、同田中敏宏及び田中弘毅の三人(以下、「被告ら三人」ともいう)から、「松岡、何をしとる。会社の物を勝手に使うな」、「帰れ」などと言われたうえ、手押し車を取り上げられてしまった。そこで、原告は、溶接事務所前まで戻り、箒で掃除を始めたが、被告ら三人が後から付いて来て原告を取り囲むようにし、被告澤屋から箒まで取り上げられたうえ、三人から何度も帰るように求められた。

(2) ちょうどそこに来あわせた清水春美(以下、「清水」という)がその場から原告の手を引っ張って外に出してやり、原告は、二階の方に行こうとトイレの先まで行ったところ、被告澤屋から前を塞ぐようにして制止されたため、塵箱(縦・横・高さともに約一メートル)が置かれてあった場所まで引き返したが、やはり後から付いて来た被告ら三人から、引き続き帰るように求められていた。

同日午前九時三〇分過ぎ頃、原告は、右塵箱に背を向けてもたれていたところ、原告のすぐ右横に同じく背を向けて立っていた被告澤屋が、「出ていけ。帰れ」と言った際、はずみで原告の体を押してしまったため、原告の背中が塵箱からはずれ、バランスを失ってその場に転倒した。

(二)  もっとも、被告らは、被告澤屋が原告に暴行を加えたことはなく、原告は立ち眩みが生じたか、床面が穏やかなスロープになっていたため、自らよろめいて転倒したものである旨主張し、<証拠>には、右に符合する供述部分がある。

しかしながら、原告には、第一の不法行為による受傷後入痛院時を通じ、めまい、動揺性歩行が発現したことは事実であるが、それが原因で自ら転倒するようなことがあったものとは認められず、前記一3(二)に認定のとおり、原告が昭和五七年一二月二八日に土谷病院を退院後、同病院に通院したのは三回だけであり、めまい等もなく、原田医師は、昭和五八年三月一日から軽作業による就労が可能であり、漸次通常勤務に移行すれば、同年四月頃には前職場復帰も可能であると診断していたこと、第二の不法行為前日には、終日溶接職場で掃除をして過ごしていることから考えると、原告が第二の不法行為当日急に立ち眩みにより転倒したということは、いささか不自然であるといわざるをえないし、現に証人原田廉(原田医師)は、平地でめまいによって倒れた場合より原告の受傷程度がひどい旨供述している。

また、床面が穏やかなスロープになっていたとの点についても、<証拠>を総合すれば、スロープといってもごく僅かであることが認められ、しかもはじめての場所であるというのであればともかく、第一の不法行為前まで原告が働いていた職場であることを考えると、右スロープが原因で自らよろめいて転倒したというのも、理解し難いところである。

しかも、<証拠>(昭和五八年三月二二日付土谷病院の診断書)によれば、同月四日初診時の傷病名として左側胸部・腰部打撲の記載のあることが認められ、右傷害部位は、前記認定にかかる被告澤屋の行為態様と矛盾しないこと(すなわち、原告と同じく塵箱に背を向けて立っていた被告澤屋が横向きの原告の右側からその体を押したというのであるから、転倒した場合、体の右側でなく、左側を打撲する方が自然である)、<証拠>によれば、原告は、転倒後意識朦朧とした状態であり、救急車の中で意識が回復したこと、その際、原告に付き添っていた一色に対し、「澤屋にやられた」と言ったことが認められること(もっとも、原告本人は、救急車で意識が回復した際、一色に「澤屋にやられた」と言った覚えがない旨供述しているが、意識回復直後のことであることを考えると、原告の記憶に残っていないとしても必ずしも不自然ではないし、むしろ、原告と一色が口裏を合わせようとしたものではないことの証左ともなる)、以上に併せて、<証拠>における転倒直前の被告澤屋の行為に関する供述記載及び供述部分の内容を考慮すると、<証拠>は、俄に採用することはできず、他に前記(一)の認定を覆すに足りる証拠はない。

なお、<証拠>によれば、被告ら三人は、第二の不法行為に関し、広島地方検察庁に傷害事件で告訴されたが、昭和五九年七月三一日に嫌疑不十分として不起訴処分となったことが認められるところ、嫌疑不十分となった詳細は不明であるし、刑事と民事では立証責任及び証明の程度に差異のあること当然であるから、右認定を何ら左右するものではない。

3  責任原因

(一)  被告ら三人について

前記二2(一)に認定の事実によれば、被告澤屋が民法七〇九条(後記のとおり、結局のところ同法七一九条一項)の不法行為責任を負うことは明らかである。

ところで、被告田中敏宏及び田中弘毅の不法行為責任について検討するに、前記二2(一)に掲記の各証拠によれば、第二の不法行為当日、溶接職場では被告会社の従業員が働いており、現に辰巳や清水が原告と被告ら三人のやり取りの側を通っているし、原告に暴力を働いた場合、誰かから目撃される危険性の高いことが明らかであり、また、被告ら三人が、原告の転倒後、原告を介抱したり、救急車の手配をしたりしている状況が認められるから、前記二1(一)認定にかかる被告会社と支部組合の対立経緯を考慮に入れても、当初から、被告ら三人の間に原告に対し暴行あるいは傷害行為を働こうとの共謀があったものとは考え難く、これを認めるに足りる証拠もない。

しかしながら、前記二1に認定の事実からすれば、原告に対し軽作業による昭和五八年三月からの復職を認めないという被告会社の方針は確固としたものであることが窺われ、前記二2(一)に認定のとおり、同月四日における被告ら三人が原告に帰宅を求める説得工作は、かなり強引かつ執拗なものであり、被告会社の方針を貫こうとするあまり、原告への配慮を欠いたものであるといわざるをえず、被告ら三人において、意図的に原告に対し暴力を振るうことまでは考えていなかったものの、何らかのはずみで原告に有形力を行使する結果となってしまうことは十分予見することができたし、これを認容していたものと解するのが相当であるというほかなく、被告田中敏宏及び同田中弘毅には、被告澤屋の暴行を予見し、かつ認容していたものとして、被告澤屋とともに、民法七一九条一項による共同不法行為責任を免れないものというべきである。

(二)  原告の復職申出に対する被告会社の措置の正当性の有無について

被告陰山を除くその余の被告らは、被告会社が原告の昭和五八年三月一日からの復職を認めなかった措置は、合理的な理由に基づくものであるとして、その正当性を主張しているところ、ひいては同月四日における被告ら三人の行為をも正当化し、その不法行為責任が阻却されると主張する趣旨であるとも解されるので、被告会社の右措置の正当性の有無について判断しておくこととする。

(1) <証拠>によれば、被告会社の就業規則上、業務外の傷病により欠勤し、三か月を経過しても治癒しないときは休職となり、右の場合における休職期間は六か月であること、休業期間満了前に休職理由が消滅したときは直ちに復職させること、復職することなく休業期間が満了となった場合は自然退職となる扱いであることが認められる。

ところで、右のような自然退職の扱いは、休業期間満了時になお休職事由が消滅していない場合に、期間満了によって当然に復職したと解したうえで改めて使用者が当該従業員を解雇するという迂遠な手続を回避するものとして合理性を有するものではあるが、一方、休業期間満了前に従業員が自己の傷病が治癒したとして復職を申し出たのに対し、使用者側ではその治癒がいまだ十分でないとして復職を拒否し、結局休業期間満了による自然退職に従業員を追い込むことになる恐れなしとせず、したがって、自然退職扱いの合理性の範囲を逸脱し、使用者の有する解雇権の行使を実質的に容易にする結果を招来することのないように配慮することが必要であり、このことは、本来病気休職制度が、傷病により労務の履行が不能となった労働者に対する使用者の解雇権の行使を一定期間制限して、労働者の権利を保護しようとする制度であることを考えると、けだし当然であるというべきである。

したがって、当該従業員が前職場に復帰できると使用者において判断しない限り、復職させる義務を使用者が負担するものではなく、休業期間の満了により自動的に退職の効果が発生すると解することは、復職を申し出る従業員に対し、客観的に前職場に復帰できるまでに傷病が治癒したことの立証責任を負担させる結果になり、休職中の従業員の復職を実際上困難にする恐れが多分にあって相当でなく、使用者において当該従業員が復職することを認めることができない事由を具体的に主張立証する必要があるものと解するのが相当である(なお、被告陰山を除くその余の被告らは、使用者の労働者に対する安全配慮義務を理由に、被告会社には復職の判断を慎重にすべき義務があるとも主張するようであるが、本来右安全配慮義務とは、就労の提供が可能である労働者が労務に服する過程で生命及び健康等を害しないよう労務場所・機械その他の環境につき配慮すべき義務をいうのであって、安全配慮義務の名のもとに復職の機会を事実上制限することは許されないものというほかなく、右主張は失当である)。

(2) これを本件について具体的にみるに、原告の休職期間満了日は昭和五八年五月七日であり、原告は、同年二月二二日、被告会社に対し、同年三月一日から就労可能であり、ある程度の準備期間として軽作業から始めて漸次普通勤務に移行することにすれば、一か月後の同年四月頃には前職場復帰が可能である旨の診断書を添付して、復職希望年月日を同年三月一日とする復職願いを提出したところ、被告会社が原告の復職申出を認めなかった理由は、前記二1(三)に認定のとおりであるから、以下順次検討することにする。

(3)  まず、被告会社の場合、休職後軽作業であれば就労可能との診断書に基づき復職願いが提出され、これが認められたという例がなく、前職場復帰可能であることが復職の原則であったとの点については、本来前職場でいきなり通常の勤務に復帰することの方が問題であり、復職に当たっては軽勤務から徐々に通常の勤務に戻すことの方が望ましく、前職場復帰による通常勤務が前提とならない限り復職を認めないというのは、まさに硬直した考えであるといわざるをえず、被告会社が前職場復帰可能であることを復職の原則としていたことは、原告の復職を認めない理由とはなりえないものというべきである。

(4)  また、原告が従事していたスポット溶接の仕事は終日立ち作業であり、原告の復職申出当時、第一、第二製造課を通じて座り作業はなく、第二製造課の溶接職場では軽作業の専従者はいなかったとの点については、前掲各証拠によれば、確かに原告復職申出当時における被告会社の職場環境としては右のとおりであったことが認められるが、原告が立ち作業に一切従事できないというわけではなく、<証拠>によれば、溶接職場においても、専従者はいなかったものの、清掃作業、不良品の手直し作業等の軽作業があり、他の職場にも軽作業はあったし、その専従者もいたことが認められるから、被告会社の職場環境を前提としても、原告の軽作業による復職を認めない理由としては、不十分である。

(5)  次に、原告の受傷が重大であったうえ、再入院の経過があり、提出された診断書には前職場復帰が可能となるのは昭和五八年四月頃であると記載されていたため、被告会社としては原告の症状が確実には治癒していないものと判断したとの点については、前掲各証拠によれば、原告から復職願いが提出された後復職を認めないとの判断を下すまでの間に、被告会社として右診断書作成者以外の医師に診断を求めたことも、担当医や原告から事情聴取したこともないことが認められ、しかも、前記一3及び二1に認定の事実によれば、原田医師は、原告の治療経過を踏まえたうえで、軽作業による復職が可能であると診断し、被告会社に対しても直接原告の復職を働きかけていることが明らかであり、原告の前職場での通常勤務復帰のみを前提とする被告会社の右判断を是認することはできない。

(6)  最後に、溶接職場では騒音が高く、フォークリフトが頻繁に走行するため、原告が復職した場合、立ち眩み等の症状が発現することが予想され、危険性があると判断したとの点については、<証拠>によれば、溶接職場では騒音が高く、フォークリフトが行き交う状況であることが認められるが、一方、右職場環境を前提として、被告会社が、原告から復職願いが提出された後復職を認めないとの判断を下すまでの間に、担当医や原告から事情を聴取して対策を協議するなどの措置を講じていないことは前記認定のとおりであるし、他の従業員の協力を取りつけたり、当初は溶接職場での就労時間を制限することなどの配慮をすることも可能であるから、右のような配慮を全く顧慮することなく、原告の前職場環境の劣悪さを云々することは許されない。そして、被告会社において、原告に立ち眩み等の症状が発現することが予想されると判断したこと自体、これを是認することができないことは、前記(5)に指摘したことからも窺うことができるし、少なくとも、被告会社による右の点についての立証が尽くされているものということができないことは、明らかであるというべきである。

そうすると、被告会社が原告の昭和五八年三月一日からの復職を認めなかった措置は、これを合理的な理由に基づくものとして是認することはできないものというほかなく、結局のところ、同月四日における被告ら三人の行為を正当化することはできない。

(三)  被告会社について

前記二1及び2に認定の事実によれば、被告ら三人は被告会社の従業員であり、被告会社の労務管理という事業の執行につき第二の不法行為を発生させたことが認められるから(被告ら三人が被告会社の従業員であることは、原告と被告陰山を除くその余の被告らとの間では争いがない)、被告会社は民法七一五条一項の不法行為責任を免れない。

(四)  被告陰山について

原告は、被告陰山とその余の被告らとの間にも、民法七一九条一項の共同不法行為が成立する旨主張しているが、共同不法行為が成立するためには、不法行為者間の主観的共同関係の有無を問わないものの、社会的・客観的共同関係の存することが必要であると解すべきところ、第一と第二の各不法行為の間には日時的、場所的にも隔たりがあるうえ、右各不法行為は、一方は交通事故、他方はこれに全く関係のない別個の傷害事件であって、行為類型の点においても別異のものであることが明らかであるのみならず、例えば交通事故と医療過誤との関係の如く、交通事故による受傷と治療行為とが密接不可分の関係にあるような場合に該当するということもできないから、結局のところ、第一と第二の各不法行為との間に社会的・客観的共同性を認めることはできないから、被告陰山の第一の不法行為と被告ら三人の第二の不法行為は、民法七一九条一項の共同不法行為に該当しないものというほかない。

したがって、第一の不法行為による損害と、第二の不法行為によるそれとは、それぞれ別個に主張立証されなければならないこと当然であるが、本件においては、第一の不法行為による受傷に基づく症状がほぼ固定した直後に、第二の不法行為による受傷が生じていることに鑑み、第二の不法行為後における損害のうち後遺障害に基づく損害については、第一の不法行為による損害と峻別し難い面のあることも否定できず、これを予め個別に算定することは困難であるから、第二の不法行為後における右損害の総額を認定したうえ、第一の不法行為における受傷が寄与した部分と第二の不法行為における受傷が寄与した部分とを割合的に評価・判定し、損害の公平な分担という見地から、右割合(以下、「寄与率」という)に応じて損害額を算定することも許されるものと解するのが相当である。

4  受傷及び治療経過等

(一)  受傷

前記二2に認定の事実に<証拠>を総合すれば、原告が第二の不法行為により、頭部打撲、左側胸部・腰部打撲の傷害を受けたことが認められる。

(二)  治療経過

前記二4(一)に掲記の各証拠に加えて、<証拠>によれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 原告は、右受傷後、土谷病院に救急車で運ばれて入院し、昭和五八年四月一二日に退院した(入院期間四〇日間)。

(2) 原告が第一の不法行為により受傷し、土谷病院退院後(第一回目)である昭和五七年一〇月五日に右耳の閉塞感(難聴)を訴え、同病院の紹介により広島大学医学部付属病院での診療を受けていたこと前記一3(二)に認定のとおりであるところ、原告は、第二の不法行為後土谷病院に入院中の昭和五八年三月二三日、耳鳴りと聴力障害を訴え、再び広島大学医学部付属病院でも治療を受けるようになったが、耳鳴りがするようになったのは第二の不法行為による入院後のことであり、特に激しい動きをしたときにその症状がひどくなる。原告は、耳鳴りが一日中続く旨訴え、土谷病院退院後も広島大学医学部付属病院での投薬治療が続けられたが、昭和五八年八月頃には、同病院からこれ以上よくはならないとして、治療を打ち切られた(なお、診断書上は、初診昭和五七年一〇月七日、最終昭和五八年一〇月三一日となっており、その間、同年四月九日、同月二三日、同年一〇月二九日の三回にわたって聴力検査が行われている)。

なお、広島大学医学部付属病院における原告の診断病名は、両神経性難聴、耳鳴り症であった。そして、<証拠>(広島大学医学部付属病院鈴木衛医師作成名義の昭和五八年一一月二一日付廃疾・障害診断書)には、後遺障害の内容として神経性難聴、耳鳴り(常時)との、症状固定時期として昭和五八年四月頃との、労災保険障害等級一一級四号との各記載がある。

(3) 原告は、その後も、耳鳴り、頭重感等を訴えて時折土谷病院に通院しており、対症療法が継続されている。

(4) 原告の担当医である証人原田廉は、原告の症状について、その原因は、第一及び第二の各不法行為の両方に起因し、耳鳴りが治癒する見込みはない旨指摘している。

(三)  後遺症

前記(二)に認定の事実を総合すれば、原告には、神経性難聴、耳鳴り、頭重感等の神経症状が残存し、右症状は遅くとも昭和五八年八月一日には固定したものと認めるのが相当である。

三損害について

1  入院雑費

(一) 原告が第一の不法行為後合計七九日間入院したことは前記一3に認定のとおりであるところ、経験則上、原告がその間少なくとも一日当たり一〇〇〇円の割合による合計七万九〇〇〇円の入院雑費を要したものと推定するのが相当であり、これは第一の不法行為と相当因果関係のある損害と認める。

(二) 原告が第二の不法行為後四〇日間入院したことは前記二4に認定のとおりであるところ、経験則上、原告がその間少なくとも一日当たり一〇〇〇円の割合による合計四万円の入院雑費を要したものと推認するのが相当であり、これは第二の不法行為と相当因果関係のある損害と認める。

2  休業損害

(一) 原告が第一の不法行為当日の昭和五七年八月六日以降被告会社を休業したことは当事者間に争いがなく、右休業期間中の昭和五八年三月四日に第二の不法行為が発生したこと前記二2に認定のとおりであり(なお、<証拠>によれば、被告会社の定年は六〇歳であることが認められ、原告の場合具体的には同年一一月二〇日となることは、被告会社の自認するところである)、以後休業のまま原告が定年退職したものと解すべきことは後記四に認定のとおりである。

なお、原告が昭和五七年九月から昭和五八年三月までの休業補償について労災保険からその支給を受けていることは、弁論の全趣旨によりこれを認めることができる(なお、右の点につき、原告と被告陰山との間では争いがない)。

(二)  原告は、第二の不法行為後症状固定時である昭和五八年八月一日に至るまでの間、休業を余儀なくされたところ、<証拠>によれば、昭和五七年八月当時における原告の給与支給月額は二五万三七二四円であったことが認められるから(なお、右の点につき、原告と被告陰山を除くその余の被告らとの間では争いがない)、原告は、昭和五八年四月から七月までの四か月間合計一〇一万四八九六円の所得を喪失したものというべきであるが、前記認定にかかる第一の不法行為による受傷後の治療経過、第二の不法行為発生に至るまでの経緯、特に被告会社が原告の軽作業による復職を認める方向で対処しておれば、原告が定年まで就労できたものと推認できることに加えて、第二の不法行為による受傷の部位・程度、その後の治療経過等を考えると、右休業損害については、第二の不法行為と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

3  後遺障害による逸失利益

(一) <証拠>によれば、原告は、第一の不法行為当時、満五八歳(大正一二年一一月一日生)の男性で、左眼が義眼であった以外健康状態に異常はなかったこと、就労状況として昭和四一年九月一二日に被告会社に組立係として入社し、昭和四六年以降溶接係として稼働してきたことが、前記三2(二)の事実に弁論の全趣旨を総合すれば、昭和五七年当時における原告の年収額は夏季・冬季の各一時金を加えると三九〇万円余りであったことがそれぞれ認められ、また、被告会社の定年は満六〇歳であり、原告の場合具体的には同年一一月二〇日となることも前記三2(二)のとおりであるから(なお、原告が同日をもって定年退職したものと解すべきことは、後記四に認定のとおりである)、原告が第一及び第二の不法行為に遭遇しなければ、原告は、少なくとも、前記後遺症状固定時の同年八月一日(満五九歳九か月)から七年間平均して、昭和五八年賃金センサス第一巻第一表企業規模計・産業計・学歴計男子労働者(六〇歳から六四歳)の年収額三〇八万九九〇〇円を取得することができたものと推認できる。

ところで、前記二4(二)、(三)認定にかかる治療経過及び後遺障害の内容に加えて、原告の年齢、仕事の内容、第一の不法行為前後の就労状況その他諸般の事情を考慮すると、原告は、右後遺障害により、右就労可能期間を通じ平均してその労働能力の三〇パーセントを喪失したものと認めるのが相当であるから、原告の右後遺障害による将来の逸失利益を、年別のホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次の計算のとおり、五四四万五三〇〇円となる(円未満四捨五入。以下同じ)。

3,089,900×0.3×5.874=5,445,300

(二)  寄与率

前記認定の原告の第一の不法行為による傷害の部位・程度とその後の治療経過、第二の不法行為による傷害の部位・程度とその後の治療経過及び後遺障害の内容に加えて、右事実によれば、原告の第一の不法行為による傷害の程度は重大であったものの、第二の不法行為直前には、原告の症状がかなり軽快して固定し、軽作業による復職が可能なまでに回復していたこと、原告の後遺症状のうち耳鳴りについては、第二の不法行為後になって初めて発現したものであること、神経性難聴の程度も第二の不法行為後の方が大きいものと推認されることを考慮すると、右後遺障害につき、第一の不法行為による受傷の寄与率が三〇パーセント、第二の不法行為による受傷の寄与率が七〇パーセントと評定するのが相当である。

(三)  そうすると、右後遺障害による将来の逸失利益五四四万五三〇〇円のうち、第一の不法行為による損害額は一六三万三五九〇円、第二の不法行為による損害額は三八一万一七一〇円となる。

4  慰謝料

(一)  入通院慰謝料

(1) 前記認定にかかる第一の不法行為後の入通院期間その他第二の不法行為までの治療経過等諸般の事情を斟酌すると、右入通院(傷害)慰謝料は一五〇万円とするのが相当であり、右は第一の不法行為と相当因果関係のある損害と認める。

(2) 前記認定にかかる第二の不法行為後の入通院期間その他治療経過等諸般の事情を斟酌すると、右入通院(傷害)慰謝料は一〇〇万円とするのが相当であり、右は第二の不法行為と相当因果関係のある損害と認める。

(二)  後遺障害慰謝料

(1) 前記認定にかかる原告の後遺障害の部位・内容・程度、その発生の経過・態様その他諸般の事情を斟酌すると、右後遺障害慰謝料は五〇〇万円とするのが相当である。

(2) したがって、前記寄与率によれば、右後遺障害慰謝料五〇〇万円のうち、第一の不法行為による損害額は一五〇万円、第二の不法行為による損害額は三五〇万円となる。

5  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告が本件訴訟の追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、相当額の報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額その他諸般の事情を考慮すると、第一の不法行為と相当因果関係のある弁護士費用の額は五〇万円、第二の不法行為のそれは一〇〇万円とするのが相当である。

6  したがって、第一の不法行為による損害額合計は五二一万二五九〇円、第二の不法行為による損害額合計は一〇三六万六六〇六円となる。

四退職の成否と退職手当金債務の不履行について

1  原告の昭和五八年五月七日付退職の成否

(一)  被告会社の就業規則上、業務外の傷病により欠勤し、三か月を経過しても治癒しないときは休職となり、右の場合における休職期間は六か月であること、休職期間満了前に休職理由が消滅したときは直ちに復職させること、復職することなく休業期間が満了となった場合は自然退職となる扱いであることは、前記二3(二)(1)に認定のとおりであり、被告会社が、休職期間満了により原告は昭和五八年五月七日をもって退職(自然退職)したとして、同月二日付書面によりその旨を通知したことは、被告会社自ら自認するところである。

なお、原告は、被告会社が同月二日付書面により、原告に対し同月七日休職期間満了による解雇を通知したとして、解雇の無効を主張するが、原告の通知は、右のとおり自然退職の通知であるというべきところ、就業規則上のかかる自然退職の扱いも、合理性を有するものとして許容されることは前記二3(二)(1)に認定のとおりであるから、以下、原告が同月七日をもって休業期間満了により自然退職したとする被告会社の取扱いの当否について検討することにする。

(二)  ところで、原告の同年二月二二日付復職申出を被告会社が認めなかった措置を是認することができないこと前記二3(二)に認定のとおりであるから、仮に第二の不法行為が発生しなかった場合、原告の復職を認めないままに同年五月七日が到来したとしても、被告会社が休職期間満了による自然退職の効果を主張することはできなかったものというべきである。

そして、第二の不法行為が、原告の復職申出を認めない被告会社の方針に基づいて、原告の就労を拒否しようとした被告会社の管理職である被告ら三人によって惹起されたことは、前記認定のとおりであるから、右不法行為による受傷の結果、結局休業のまま当初の休業期間である右五月七日が到来したことは明らかであるものの、被告会社が原告の休業期間満了による自然退職の効果を主張することはできないものと解するのが相当である。

したがって、被告会社の原告に対する右自然退職の取扱いは無効であるというほかなく、原告は同年一一月二〇日をもって定年退職したものと認めるのが相当である。

(三)  なお、被告会社は、昭和五八年一一月から同年一二月にかけて原告及び一色と被告会社総務課の木村主任との間で数回話し合いが持たれ、その席上、原告は、原告の退職日が同年五月七日となることを了承し、同日付の退職願いを提出した旨主張するところ、その趣旨は、原告が被告会社の自然退職扱いを追認し、あるいは自主退職(依願退職)したというにあるものと思われるので、検討する。

確かに、<証拠>によれば、原告は被告会社に対し退職金の支払を求めていたところ、同年一二月二三日、原告及び一色と被告会社総務課の木村主任との間で最終的な話し合いが持たれたこと、その際木村主任から退職金支払の前提として退職願いの提出を求められ、木村主任の差し出した退職願いの用紙に一色が原告の署名をし、原告が名下に捺印したうえ、これを木村主任に手渡したことが認められる。

しかしながら、一方、<証拠>によれば、原告及び一色が退職願い(<証拠>)を提出したのは、休職期間満了による退職ということなら一応これを受け入れ、とりあえず退職金を受け取ろうという気持ちからであったこと、ところが右退職願い提出後自主退職を認めるという書面を渡されたため、一色の方で休職満了による退職扱いでないと困ると反発したため、交渉は決裂し、結局退職金は支給されなかったこと、その後原告は、被告会社に対し、昭和五八年一二月二六日付で右退職願いを撤回する旨通知したことが認められるから、前記認定事実をもってしては、原告に真実自主退職願いを提出する意思があったものと認めるに十分でなく、少なくとも、右退職願いは、交渉当日、その場で撤回されたものと認めるのが相当である。そして、右交渉経緯に照らしても、原告が被告会社の自然退職扱いを追認する意思で退職願いを提出したものでないことは明らかであるというべきである。

2  被告会社の退職手当金規定

(一)  被告会社には退職手当金規定が存在し、従業員が退職する場合、次の計算により算出された退職手当金を退職時に支給することとなっていることは、当事者間に争いがない。

退職手当金=(基本月給+生産奨励手当+皆勤手当+調整手当+勤続手当+役職手当)×支給月数

(二)  原告が昭和四一年九月一二日に被告会社に入社したこと及び昭和五八年一一月二〇日をもって定年退職したものと認めるべきこと前記認定のとおりであるところ、<証拠>によれば、勤続年数は一七年三か月、右勤続年数に相当する支給月数は13.48、原告の算定基礎金額は一九万五四二二円となるから、原告に支給すべき退職金は、次の計算のとおり、二六三万四二八九円となる。

195,422×13.48=2,634,289

3  被告会社の債務不履行

(一)  原告が昭和五八年五月七日をもって休業期間満了により自然退職したとする被告会社の取扱いが無効であることは、前記認定のとおりである。

(二)  よって、被告会社は、原告に対し、退職金二六三万四二八九円及びこれに対する昭和五八年一一月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

五結論

してみると、その余の点について判断するまでもなく、原告の本訴請求は、被告陰山に対し五二一万二五九〇円及びこれに対する第一の不法行為の翌日である昭和五七年八月七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告澤屋、同田中敏宏、同田中弘毅に対し各自一〇三六万六六〇六円及びこれに対する第二の不法行為の翌日である昭和五八年三月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告会社に対し二六三万四二八九円及びこれに対する昭和五八年一一月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告のその余の請求は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官内藤紘二)

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